はんとし

*その土嚢は

「悲惨でかわいそうな人たち」を見せることで進む運動があるとする。もちろん「悲惨」なさまを強いられる人たちを世に知らしめることは必要なことである。がしかし、「悲惨でかわいそう」でいなければ、そんな姿を晒していなければ、まともに暮らせないという声がそんな「悲惨でかわいそうな人たち」から上がったら、もっとずっと昔にも上がっていたならばどうだろう。それでも「悲惨でかわいそうな人たち」の姿を最前線に土嚢のように積み上げて運動を続けるのだろうか。

この間いくつかのデモや集会があった。どうしても意欲的に参加出来ないのは上記の理由もあるが、公共的な運動を支持して来た者として、私的領域を守ることを至上としたデモや集会にはどうにも近寄り難いものがあるのだ。かつての有能な活動家に求められていたものは、私的領域を削っても公共運動に賭ける熱意だったんじゃないだろうか。人一倍働き、人一倍活動することが有能な非専従の労働運動家じゃなかったんだろうか。

デモや集会では世の中は変わらない。これは皮肉でもないし、反動的にお喋りをしたいわけでもない。おれ自身デモや集会の重要さを知っている。だからこそ言わなければいけないのだ「デモや集会では世の中は変わらない」と。デモや集会は同じ志を持つ人びとの交流の場である。同じ志を持つ人の共通認識の確認の場である。大切な時間を使いその時を信じて集まる者達の団結の場である。それ以上の意味はない。残念ながら政治的決定はもっと別の力関係で行われる。けれどもそれが「世の中が変わる」ことを諦めさせるようなことでもない。「世の中は変わる」あんたの腹ひとつで。あんたの土嚢を見てみなよ。

震災から半年が経った。人を悼むには、全く知りもしない人を悼むには、その人の名前を読み上げること以外の方法をおれは知らない。彼ら彼女らの物語をおれは何一つ知らない、何一つ手にしていない。いつでも忘れられるし、いつか忘れてしまう。だからせめてそれまでは名前を呼びたい。

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坂田明(sax)高岡大祐(tuba)デュオ

*今月のライヴです

坂田明(sax)高岡大祐(tuba)デュオ

日時:6月22日(水)19時半から
出演:坂田明(sax)高岡大祐(tuba)
料金:2000円(ご予約ございましたら当店まで)
於:アスカタスナレコード&カンパニー(http://www.chizulla.jp/shop/アスカタスナ:048-747-8989.html)

3月に素晴らしいソロライブをやってくれ高岡君がなんとあの坂田明さんと登場です!!誰よりも店主が楽しみにしています。皆様なんとしてもご来場ください!!

110420@音楽喫茶 茶箱 / 110420@sabaco 01

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Have no fear for atomic energy

*Bob Marley
没後30年だそうです。

JOE STRUMMER AND THE MESCALEROS - REDEMPTION SONG

Have no fear for atomic energy
'cause none of them can stop the time

原子力を恐れるな
誰ひとりとして時間は止められないのだから

この部分がこの唄のキモだと思いますよ。

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それから

*さて
なにから書くべきなのかいまだにわかっていない。ずっと怒っているのだが怒り方がよく解っていない。書けるのは思い出話ぐらいだろうか。

とはいったものの、80年代の「反原発運動」に関しての思い出なんてのはほとんどない。大なり小なりデモにも行った、という程度だ。そういう流行があったし、流行で終わってしまったし、流行で終わったことにはそれなりの理由があったのだろうとも思う。そしてその頃からおれには、ある種の違和感が「反原発運動」にあったし、その違和感は今でも変わらない。

原発は差別問題である。という簡単なラインは踏み外したくない。それにしてもネット上の夥しい数の放射能フォビアや原発ヒステリーには辟易しているし、安全をいう人びとを「安全デマ」などと揶揄する第二記者クラブのフリージャーナリストの下品さはこの先ずっと忘れることはないだろう。そして正直なところ、現在進行形の反原発デモにおける首都圏在住者の無責任な被害者面には怒りすらおぼえる。

「原発がなくなっても電力は平気だ」、「電気は余っている」、「昔の生活に戻ろう」、四半世紀前によく聞いた台詞がいまだに呟かれているのは、結局「反原発運動」がこの間ほとんど問題にされて来なかったこと、当時に流行にのった人びとの思考停止の証左だろう。この25年がすっぽり抜け落ちた人びとがまた「反原発運動」に帰って来たんだ。タイムスリップもののソープオペラみたいだな、まったく笑えないけど。

原発が全て(いっぺんに停止することはないだろうけれども)停止したとして、それで「反原発運動」ってのは終わるのだろうか、全ての原発が停止されたならば即ちバラ色の世界が開けるのだろうか、そんなワケはない。使用済み燃料は時間をかけて冷却しなければならないし、六ヶ所の再処理施設の問題もある。核のゴミに至っては最終処分場の場所すらきまっちゃいない。ヒステリックに停止を叫ぶよりも、デモクラティックなやり方(この国にそんなモノがあれば、だし、そんなモノを一人一人が確実に手に入れようとするのならばだけどさ)で我々がどのような政府を支持するのかってのを明確にしなきゃならない。

これまでの政策が過疎地の人びとを札束で分断し、原子力産業に依存させるセコいシステムだったとするならば、そんなシステムの恩恵を受けてきたのは他ならぬ首都圏の住人である。「騙されていた」とか「知らなかった」ですまされるワケもなく、この先どのように原子力産業を収めていくのかは大事な話だ。おれたちは望むと望まざるとに関わらず、どうしようもなく加害者なんだ。誰かを吊るし上げることではなにも解決しやしない。どうやったら上手いコト核のゴミと付き合って生きていけるかってのが、当面の、そして長い年月をかけての最大の問題だろう。事故はもう起こってしまった、残念ながら、もう事故のなかった世界には戻れない。


*最後に
四半世紀前からおれの心の奥底でずっと黒光りしている文章のリンクを。マッチポンプな健康恐怖や放射線被害に関してのセコい怯えに、この文章で後頭部からガツンと一発くらわなかったら、今日のおれはいない。アイデンティティなんて文章一つでいくらでも覆されるんだぜ。

"堤愛子 「ありのままの生命」を否定する原発に反対"
http://www.geocities.jp/aichan822/hanngennpatu2.htm

いま生きている者を恐怖の対象とすることのバカバカしさだけは言い様もない。
生きていることだけを信じろ。そんな信だけで生きろ。手本はいくらでもある。
適当に脅えて、適当に怯むな。

おれたちがもうすでに、「それから」の世界を生きていることを忘れちゃいけない。
そして「それから」の世界をつくるのはおれたちだ。

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【急遽開催】高岡大祐チューバソロ

*【急遽開催】高岡大祐チューバソロ
3/27(日):16時スタート
料金:投げ銭 http://bit.ly/giHMWn

急に決まったのですが3/27(日)の16時から、大阪のチューバ奏者(といっても彼のチューバ奏法はブラスバンド的なチューバ演奏からは随分と遠いところにいるのだけれども)高岡大祐くんのソロライヴをします。高岡くんはおれが渋さ知らズのお世話になっていた頃からの友人で(数少ない同年齢の一人でした)、現在は本拠の大阪と東京を往復しつつベルギーなどでも活動するチューバ奏者。楽器の可能性を探り、音楽に真摯に取り組む立派な音楽家です。百聞は一見にしかず、ぜひご来場くださいませ。

高岡大祐即興チューバソロ@仏生山レトロ電車1_1/4

http://youtu.be/BPcmqAsr7V8
高岡くんは来月9日にも浦和延命寺の花祭りで坂田明さんらといらっしゃいます。

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«ばかども