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さんせい2

*レイシズムは「論理」ではない
代表制の機能不全がフラストレーションを生み、そのはけ口が他者への憎悪として現れる。そんな憎悪を前にして、その様な不正義を前にして何かを言わなくてはいけない、何らかのアクションを取らなくてはならない。という前提をもって、さっさと先に進む方が面白いし、先に進まないと何も言えないし、ラインを引き直しておかないと後々面倒だろうと思う。ので先に進んでおく。

外国人(と呼ばれる人びと)に参政権が与えられたとする。日本人(と呼ばれる人びと)と同じ様な権利が付与されたとする。さてさて、ではそこで"民主主義"といわれるものの領域が広がるのだろうか、国籍や出自による差別がなくなるのだろうか、参政権が付与される程度のことで、諸問題は解決の方向へと動くのか。今回のヒステリックな馬鹿騒ぎを見るかぎり、参政権ごときが付与されたとて、国籍や出自により峻別される"二級市民"としての生活が外国人には待っているのではないのか。一部のマイノリティの問題が解決したかのように見えても、"民主的"なもののもう一方にある"非民主的"な領域はさらに巧妙に拡散していくのでないだろうか。内的な民主化の裏で外的な非民主化が進められてきたように、民主化の拡大は、"非民主的"な領域を確保することで進められてきたのではないのか。そうやってマイノリティは分断され連帯の場を失うのではないか。国民国家の生成における"民主的"な観念や"市民権"などはそもそもが、人びとの間にラインを引き、"国民"の領域を確定し、それ以外の人びとを"外国人"と位置づけ排除することで成り立っているのではなかったか。人権観念が国境を越えられないなんて、どれほどバカげた状態なんだ。ベネディクト・アンダーソンなんかを引くまでもなく、共同体が想像の産物であるのならば、さらに最想像すれば良いだけだろう。おれは"民主主義"の観客ではないし、"デモクラシー"の消費者でもない。そんな想像力も持てないレイシストに「論理」なんて欠片もないぜ。

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